【何が正しいの?】LGBTについて真剣に考えてみた結果!!(改訂版)

こんにちは、こんばんは。この記事を見ていただき誠にありがとうございます。

 

今回はLGBTについて考えてみたのでそれをまとめて書いてみました。

 

夜の2時に書いたので多少の理論破綻はご了承ください。

 

結論からすると、何を軸として考えるかにもよりますが、基本的には反対の立場をとらせていただきます。

 

昨今LGBTの議論が盛んに行われていて、議論をすると大抵賛成派は個人の自由であるとか多

様化を受け入れる社会にしようとかそういったことを軸に推進を主張していて、反対派は宗教

によるものであったり、なんとなく違和感を感じてだったりと賛成派と比べて全ての人が納得

しそうなはっきりとした主張をしきれていなくて強い反対派はいないように思われます。

 

これらの議論は今ここに生きている人たち全体で幸せのパイをどれだけ大きくするを基準として話を進めている印象が僕にはあります。

 

僕が今回の記事で議論の基準となる考え方は現在だけでなく未来の子孫のことも視野に入れて両者バランスを重視する考え方です。

 

ちょっと話が変わりますが、整形が普及した世界を考えてください。

 

まず見た目が変わるような整形をする目的って9割型コンプレックスを直してより容姿を磨き上げて周りからよくみられるようになりたいみたいな感情だと勝手に思っているのですが、もしほとんどの人が美しい容姿を手に入れたとしたら、その美しい容姿は大きな価値を生みにくくなることが予想されて、その結果今度はスタイルの良し悪しに評価が大きく移っていくことは自明だと思います。

 

今読んでいる方はその時代の人になっている妄想をしてください。整形で担当医者の技術で顔の良さが変わるという運と人気の医者を捕まえるために莫大なお金を積み上げてその後、厳しい食生活を強いられてスタイルをキープしつつ、人間関係を築いていくという過酷さを。僕なら100病むだろうなと。

 

僕はこういう世界を子孫にプレゼントすることにめちゃくちゃ反対です。そしてこういった世界の始まりは整形について偏見を持っている世間がある程度整形を批判しつつ、その批判を受けても整形したいという思いの強い人のみが整形をするという状況から整形が普通だよね、整形してるしてないとか関係なくない?多様化の社会の中でこんなの個人の自由だから他人がとやかくいう必要なんてないよ。といった風潮に変化したタイミングだと思います。

 

そして今その転換期に僕らはいます。

 

話をLGBTに戻しますが、LGBTが容認された世界では、そういった特性を持つことが普通となり、子孫を残すということに影響を与えると考えています。

 

僕はたくさんの問題が生まれますが、世界の人口は増えていくことに基本的には賛成です。

これの理由についてはまた別の記事を用いて話させてもらいます。(下に書きました。)

 

なので長い目で見てLGBTが普通になってそれに感化される人が少なからずいたり、恋愛のハードルが上がったりなどで人口の増減に影響を及ぼすと可能性があるのでそれは避けたいなと考えています。

 

だからLGBTは批判を受けたとしても自分の意思で貫き通すという覚悟を持った人のみがその人生を選択し、それ以外の人には大人しく従来の生きづらい世の中(該当の人にとって)を生きてもらいたいです。

 

最後に読者の皆さんには未来という物差しの測りの最大値を自分の人生の最後に置くのではなく、自分の孫の孫の孫の孫の孫の孫の孫の孫といった自分の遺伝子が薄れまくった世界のことまで考えてもらいたいです。

 

この記事に関しては賛否両論あると思いますので、たくさんのコメントをお待ちしております。

 

この記事は収益は全くありません。皆さんに今一度多様性だから個人の自由だからという一見なんとなく納得しそうな意味のわからない主張に惑わされないで欲しいのと思いこの記事を書きました。

 

なのでもしちょっとでも感情が動いたらどうぞブックマークをよろしくお願いします。

 

追記: 人口が増えることに対して賛成であるという話を簡単にまとめました。

 

実はLGBTの人たちが過ごしやすい世の中にしてその人たちの自由を守ることと人口というのはトレードオフ何かを得ると、別の何かを失う、相容れない関係)で人口が1%も増えないじゃんとか言われちゃうとそれまでな気がするんですが、だから個人の自由を尊重しようというのは短絡的な気がします。

 

 例えば僕らの世代よりももっと上の世代の人たちはそういった人たちは差別的な視線にさらされていて、これについてぱっと考えただけだと、かわいそうとかそんなのおかしいよねといった感想しか出てこないだろうけど、ちょっと考えてみるとそういう視線のおかげで嫌々かもしれないが結婚をして子供を産んだ人たちがいて、その子供も新たな子供を産んでその先の子孫たちの中に僕らの身近な友達が含まれているかもしれない。かつて生きたLGBTの人が仮に自分の自由を優先していたら、その僕らの友達はきっと生まれてこなかっただろうと思う。

 

そして僕らは今LGBTを容認する代わりに今後の彼らと同じような人たちの命が生きようとする前に僕らの意見や風潮で殺してしまうことになるのではないだろうか?

 

この問題は決して問題視されることはない。なぜなら彼らはこの地に生まれる前にいないものとされ、個人の自由を、生きたいという主張をもみ消されているからだ。

 

すでにこの地に生まれた彼らの個人の自由と生まれることのない生命の生の自由のどちらかのみしか選択することはできません。

 

もしかしたら僕は人口が増加に賛成というよりは生まれうる生命が生まれなくなるのを防ぎたいだけなのかもしれない。

 

皆さんはどうですか?もしこれを踏まえた上でこの話を議論するべきだとちょっとでも思った方はひつこいようですが、どうぞブックマークやTwitterなどでこの記事を拡散してください。

 

守るものを選ぶ材料のような記事となれたら幸いです。